米ミズーリ州セントルイス郡ファーガゾンで、武器を持たない黒人青年が白人警官に射殺され、その白人警官に味方する行政判断が降りた事で大規模なデモに発展した事件から1年。アメリカの白人と黒人間の軋轢は、悪循環を伴いながら悪化の一途を辿る様子が散見される1年だった。
根底には、一個人間の間で起きる小さな差別意識の膨大な積み重ねなのだろう。出身国・生活水準・文化の違いで生まれた価値観の違い。また、白人社会の作った社会に黒人が入れてもらうという構図を、無意識下に描いている人ほど、差別を行ってしまう。
差別は様々だろうが、やはり、雇用や労働環境における差別が最も影響が深刻だろう。これらの差別は黒人側の収入に大きく影響し、結果、黒人家庭の貧困化が進む。やはり、先進国と呼ばれている社会下での貧困家庭は、教育にも影響は出る。黒人の若者の白人中心の社会への不満は当然の如く生まれ、あとは本人の道徳観に委ねざるを得ない。
そういった若者が、また黒人への差別感情を抱える白人警官と出会うと、騒動の種は生まれてしまう。そして、1度事件が起きてしまうと、それまで理性や道徳心でおさえていた相手への反発心を吐き出す大義名分が出来てしまい、それまでの努力が水泡に帰す。この構図がひたすら繰り返されているのがアメリカの白人と黒人の軋轢である。
この問題の厄介なところは、素人でも理解できるレベルの解析が出来るのに、その解決の難易度が高い事だ。億単位の白人と黒人に相手への不満を抑えさせる上に、互いの接触の際にトラブルが起きないようにする。確率として見ても、おそらく地球が滅ぶよりも確立が低いのではないだろうか。
まさに、アメリカ社会を代表する闇と言える問題。事件を機に振りかえっても、問題の奥深さを再認識するに留まってしまった。レディースキャッシング専業主婦